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MHIのDNA
01 ルーツを探る -三菱グループの礎を築いた4代社長- 02 あの時の世界とMHI 社史 03 ものづくりに込めた思い ムービー
 
01

ルーツを探る -三菱グループの礎を築いた4代社長-

三菱の初代社長 岩崎彌太郎 1835年(天保5年)~1885年(明治18年)

大転換期を力に変えた不屈の企業人

写真:初代社長 岩崎彌太郎
1835(天保5)年、土佐国の井ノ口村(現在の高知県安芸市)に元郷士の貧しい家の長男として生まれました。19歳で江戸へ出て安積艮斎(あさかごんさい)の見山塾で勉学に打ち込みますが、父が庄屋と争い重傷を負ったため帰郷、それに猛然と抗議したため投獄されます。出獄後、吉田東洋の少林塾に入り後藤象二郎らの知遇を得ます。59(安政6)年、土佐藩の藩命で長崎に派遣され武器や艦船の輸入、土佐産品の輸出を担当。27歳の時に喜勢と結婚し長男久彌が誕生します。67(慶応3)年、再び長崎に赴任しグラバーなどの世界の商人を相手に経済官僚として奮戦。この頃、海援隊を支援しています。70(明治3)年には土佐藩の海運事業を継承するために九十九(つくも)商会を設立。これが「三菱」の創業となります。74(明治7)年に本拠地を東京に移し、その後、社名を「郵便汽船三菱会社」と改め、国から台湾出兵の軍事輸送を受託。77(明治10)年の西南戦争で政府軍の輸送を一手に引受けるなど、彌太郎は強力なリーダーシップを発揮し事業を発展させます。しかし85(明治18)年、共同運輸との熾烈な競争が始まり、その不毛な消耗戦の中、病に苦しむ彌太郎は同年に50歳で生涯を閉じます。

出典「三菱広報委員会ウェブサイト」

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第二代社長 岩崎彌之助 1851年(嘉永4年)~1908年(明治41年)

リーダーシップを支えた武士道と冷徹な眼力

写真:第二代社長 岩崎彌之助【彌太郎 弟】
1851(嘉永4)年に彌太郎の弟として生まれました。16歳で土佐藩校致道館に入学。69(明治2)年、18歳の時に彌太郎を頼り大阪へ行き、重野安繹(しげのやすつぐ)の成達書院で漢学を学び、土佐藩邸で米国人より英語を習います。21歳でニューヨークに赴き、全寮制の学校に入学。1年5ヵ月後、父の急死により帰国すると彌太郎の海運事業を補佐するべく「三菱商会」に入社。74(明治7)年、後藤象二郎の長女早苗と結婚、翌年長女繁子が誕生。79(明治12)年に長男小彌太が生まれます。85(明治18)年、彌太郎の死去にともない「郵便汽船三菱会社」の第二代社長となり事業を継承。共同運輸との競争終結による日本郵船の発足にともない、翌年彌之助は海運事業を切り離し「三菱社」を発足させて事業の多角化をすすめます。90(明治23)年、松方蔵相に懇請された神田・丸の内の土地買取りを「国家のため」という三菱創業以来の理念により英断します。94(明治27)年「三菱合資会社」への改組を機に第一線を退き「監務」に就任。若くして新社長となった彌太郎の長男久彌を支えます。その後、96(明治29)年に第四代日銀総裁就任。1908(明治41)年、57歳で永眠します。

出典「三菱広報委員会ウェブサイト」

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第三代社長 岩崎久彌 1865年(慶応元年)~1955年(昭和30年)

近代的なマネジメントへの第一歩を踏み出す

写真:第三代社長 岩崎久彌【彌太郎 長男】
1865(慶応元)年、彌太郎の長男として土佐国の井ノ口村に生まれました。一家で東京に移った後、75(明治8)年に9歳で慶應義塾に入学し3年間福沢諭吉の薫陶を受けています。20歳の時に米国に渡り1年半後にペンシルベニア大学ウォートン・スクールに入学。財政学などの単位を取得し25歳で卒業します。91(明治24)年に帰国後「三菱社」に副社長として入社し、2年後「三菱合資会社」に改組した際に28歳で社長に就任、この年寧子(しずこ)と結婚。独立採算制を採用した近代的なマネジメントシステムを導入し、二本柱の鉱業と造船業を大きく発展させます。また上野―青森間の鉄道建設を始めとした私営鉄道事業への出資や米作、発電、水道事業などにも情熱を注ぎました_。さらに98(明治31)年に神戸製紙所(後に三菱製紙)を設立、1905(明治38)年には神戸造船所を開設します。また07(明治40)年には麒麟麦酒(キリンビール)の設立を支援しました。そして16(大正5)年50歳のときに社長を退任、従弟で副社長の小彌太に社長の座を譲ります。引退後は夢であった農牧事業を楽しみ、戦後は三菱の再興を見守った久彌。1955(昭和30)年、千葉県成田近くの末広農場の別邸にて90年の天寿を全うします。

出典「三菱広報委員会ウェブサイト」

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第四代社長 岩崎小彌太 1879年(明治12年)~1945年(昭和20年)

三菱マンの体に流れる欧米流フェアの精神

写真:第四代社長 岩崎小彌太【彌之助 長男】
1879(明治12)年、東京の駿河台で彌之助・早苗夫妻の長男として生まれました。17歳で第一高等学校に入学。99(明治32)年に一高を卒業後、東京帝国大学法科大学に入学しますが、在学1年で中退。翌年英国へ出発し、1902(明治35)年にケンブッリジ大学に入学します。06(明治39)年に極めて優秀な成績で卒業して帰国。「三菱合資会社」に入社し26歳で副社長となります。07(明治40)年に島津孝と結婚。16(大正5)年に36歳で社長就任。翌年、各事業部門を株式会社として独立させ、「三菱合資会社」を持株会社として統括する体制とします。20(大正9)年には第一次世界大戦の戦後反動不況の中、丸ビルの建築を決断し、23(大正12)年に竣工します。昭和金融恐慌など厳しい経済環境の中、29(昭和4)年に体調を崩し2年間休養しますが、復帰後の34(昭和9)年には小彌太の強い指導力で三菱造船と三菱航空機が合併し三菱重工業が誕生します。37(昭和12)年には「株式会社三菱社」と改組し純然たる持株会社とし取締役社長に就任。45(昭和20)年、終戦にともなうGHQの財閥解体に反対するも株式会社三菱本社の解散を発表、社長退任後66歳で亡くなります。

出典「三菱広報委員会ウェブサイト」

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歴史の中にこそ、将来の道が隠されている
三菱重工は日本の大転換である明治17年に創業。造船業から始まり、時代と共に歩んだ事業の130年の歴史をご紹介します。
 
02

あの時の世界とMHI 社史

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  • 1870~1916
  • 1917~1944
  • 1945~1963
  • 1964~1990
  • 1991~2014
 
創設の時代 1870~1916年(明治3~大正5年)
三菱の創業と多角的な事業基盤の形成 海運業から始まり、造船、鉱山、銀行などの分野に進出。企業をあげて日本の近代国家への道を支え、発展を遂げる。
MHIのあゆみ
主な国内・海外実績
当時の社会情勢
明治
[三菱の創業]土佐藩が九十九商会を設立し海運事業を開業。その事業を岩崎彌太郎が引き継ぎ経営・監督の任にあたる。 1870年(明治3年) 九十九商会の船旗号だった三角菱は現代のスリーダイヤの原型である。これは岩崎家と土佐山内家の家紋にも由来している。

画像:三菱マークのなりたち

三菱マークのなりたち

画像:三菱創業の地 大阪西長堀

三菱創業の地 大阪西長堀

1871年(明治4年)
「廃藩置県」により、それまでの「藩」を廃止。「府」と「県」に一元化され中央集権体制を固めた。
1872年(明治5年)
新橋・横浜間の鉄道が開通。また暦が太陽暦に変更され12月3日が新暦の明治6年元旦となる。

画像:浮世絵に描かれた開通当時の鉄道

浮世絵に描かれた開通当時の鉄道

経営幹部の川田、石川、中川の川の字にちなみ九十九商会の社名を三川商会と改称。 1872年(明治5年)
船旗の三つの菱形にちなんで三川商会の社名を三菱商会に改称。岩崎彌太郎が先頭に立ち、事業を指揮する。 1873年(明治6年)
本店を東京・日本橋の南茅場町に移転。社名を三菱蒸気船会社と改め、本格的に海運業の事業拡大へ乗り出す。 1874年(明治7年) 英国ボイド商会と提携し、横浜に船舶の修繕を行う三菱製鉄所を開設。

画像:東京南茅場町本社(明治10年ごろ)

東京南茅場町本社(明治10年ごろ)

1874年(明治7年)
台湾原住民により漂着した琉球島の漁船乗組員殺害を理由に、明治政府が「台湾出兵」を行った。
1876年(明治9年) 日本で初めて社員にボーナスを支給。
1877年(明治10年) 政府の要請により、西南戦争の兵員や物資の輸送に全面協力。

画像:明治10年ごろの三菱幹部

明治10年ごろの三菱幹部

1877年(明治10年)
西郷隆盛が鹿児島で挙兵し、「西南戦争」が勃発。明治政府は軍を派遣し、これを鎮圧。
1880年(明治13年) 三菱為換店を設立し、金融業と倉庫業に乗り出す。

画像:江戸橋三菱の七つ蔵(三代広重、明治16年)

江戸橋三菱の七つ蔵(三代広重、明治16年)

長崎の高島炭坑を後藤象二郎より買い取ったのを始め、九州各地の炭坑を次々に買収し炭鉱経営に乗り出す。 1881年(明治14年)
[創立] 工部省の長崎造船所を借り受け、造船事業に本格的に進出。これが後の三菱重工業のルーツとなる。 1884年(明治17年)

画像:長崎造船所の飽ノ浦機械工場

長崎造船所の飽ノ浦機械工場

1884年(明治17年)
東京気象台が日本初の天気予報を発表。
初代三菱社長、岩崎彌太郎死去。弟の岩崎彌之助が第2代社長に就任。 1885年(明治18年) 郵便汽船三菱の海運事業を切り離し、共同運輸と合併させて日本郵船会社を創立。
社名を三菱社と改称し、海運以外の鉱山、造船、銀行を軸に事業を展開。 1886年(明治19年)
1887年(明治20年) 長崎造船所で三菱初の鉄製汽船・夕顔丸が進水。

画像:夕顔丸

夕顔丸

1890年(明治23年) 長崎造船所でわが国初の銅製汽船・筑後川丸を竣工。

画像:わが国初の銅製汽船・筑後川丸

わが国初の銅製汽船・筑後川丸

1889年(明治22年)
  • 大日本帝国憲法(明治憲法)が公布。
  • 欧州ではパリ万国博覧会開催され、エッフェル塔が建設された。
1894年(明治27年) 東京・丸の内に赤れんがの三菱第1号館が竣工。これを皮切りに一丁倫敦と呼ばれた赤れんが街が建設される。

画像:三菱第1号館

三菱第1号館

1894年(明治27年)
朝鮮半島をめぐって清国と日本の間で日清戦争が勃発。
1896年(明治29年)
近代オリンピックの第1回大会がアテネで開催。
1898年(明治31年) 長崎造船所で日本初の5,000トン超の大型貨客船・常陸丸を竣工。

画像:大型貨客船・常陸丸

大型貨客船・常陸丸

営業部を設置し、商業部門の発展をはかる。 1899年(明治32年)
1900年(明治33年)
  • 夏目漱石がイギリスに留学。
  • 中国では「義和団の乱」が起こり北京を占拠。日本をはじめ列強が連合軍を派遣、乱を鎮圧する。
1902年(明治35年)
日英同盟が締結。
1903年(明治36年)
アメリカでライト兄弟が初の動力飛行機の飛行に成功。
1904年(明治37年)
満州から朝鮮半島へ勢力を伸ばそうとするロシア帝国と日本の間で日露戦争が勃発。
1905年(明治38年)
アインシュタインが特殊相対性理論を発表。また、欧州とアジアを結ぶシベリア鉄道が開通。
1911年(明治44年)
ノルウェーの探検家、ロアール・アムンセンが南極点に到達。
1912年(明治45年/大正元年)
タイタニック号がサウサンプトンからニューヨークへ向かう処女航海で、氷山に衝突し沈没。
1914年(大正3年)
第一次世界大戦が勃発。日本は同盟国の英国からの要請を受け、ドイツに宣戦を布告する。また、この年、東京駅が完成。
神戸三菱造船所を開設。 1905年(明治38年)
本社に造船部を設置し長崎、神戸の両造船所を統括。 1907年(明治40年) 麒麟麦酒、旭硝子を設立。
1908年(明治41年) 長崎造船所でわが国初の10,000トン超の大型客船・天洋丸を竣工。

画像:大型客船・天洋丸

大型客船・天洋丸

社制を改革し、造船部、銀行部、鉱山部、営業部、地所部、庶務部、内事部の7部とする。 1911年(明治44年)
大正
1915年(大正4年) 長崎造船所で、当時世界で最も強力な巡洋戦艦として各国から注目された巡洋戦艦・霧島を竣工。

画像:巡洋戦艦・霧島

巡洋戦艦・霧島

岩崎久彌が退任し、第2代社長の岩崎彌之助の長男・岩崎小彌太が第4代社長に就任。 1916年(大正5年)
 
激動の時代 1917~1944年(大正6~昭和19年)
技術力を結集し激動の日本を支える 造船と航空機部門を合併し三菱重工業を設立。陸・海・空に跨る新産業分野への進出で激動の日本を支える。
MHIのあゆみ
主な国内・海外実績
当時の社会情勢
大正
造船部を独立させ三菱造船を設立。以後、事業部制を更に進めて事業ごとの分社化を図る。 1917年(大正6年) 神戸造船所で日本初の量産乗用車、三菱A型1号を製作。

画像:日本初の量産乗用車三菱A型1号

日本初の量産乗用車三菱A型1号

1917年(大正6年)
ロシア革命が起こりロマノフ王朝が滅亡。
1918年(大正7年)
4年間にわたりヨーロッパを主戦場に世界各国巻き込んだ第一次世界大戦が終結。
1919年(大正8年) 神戸造船所初の蒸気機関車を製作。

画像:蒸気機関車

蒸気機関車

新しい産業分野である航空機、発動機の製造を行う三菱内燃機製造を設立。 1920年(大正9年)
1920年(大正9年)
第一次大戦の教訓から史上初の国際平和機構である国際連盟がスイス・ジュネーブで発足。
三菱内燃機製造を三菱内燃機と改称。 1921年(大正10年) わが国初の国産艦上戦闘機、10式艦上戦闘機を製作。航空機産業へ大きく乗り出す。

画像:10式艦上戦闘機

10式艦上戦闘機

1923年(大正12年) 東京駅丸の内口駅前に丸の内ビルヂングが竣工。
1923年(大正12年)
東京、神奈川を中心に関東一円に大きな被害をもたらした関東大震災が発生。
1925年(大正14年)
東京・山手線が環状運転を開始。
1926年(大正15年/昭和元年)
大正天皇崩御。昭和の時代を迎える。
1927年(昭和2年)
リンドバーグがニューヨーク・パリ間の単独無着陸飛行に成功。
1929年(昭和4年)
ニューヨーク証券取引所での株の大暴落をきっかけに世界経済大恐慌が起こる。日本も深刻な影響を受ける。
1931年(昭和6年)
満州事変が勃発。日本と中華民国との間で武力紛争が起こり、日本は戦争への道を歩み始める。
昭和
三菱内燃機を三菱航空機と改称。 1928年(昭和3年)
1929年(昭和4年) 長崎造船所で当時世界最高水準の豪華客船・浅間丸を竣工。サンフランシスコ航路に就航。

画像:太平洋の女王と称された「浅間丸」

太平洋の女王と称された「浅間丸」

1931年(昭和6年) スルートラス型水管橋の代表的な例である小見水管橋(富山県)を製作。

画像:小見水管橋

小見水管橋

「三菱造船」と「三菱航空機」を合併し「三菱重工」を設立。 1934年(昭和9年)
1936年(昭和11年)
日本陸軍の青年将校らによる軍事クーデーター未遂である2.26事件が勃発。
三菱合資会社を改組し三菱社を設立。 1937年(昭和12年)
1939年(昭和14年) 世界を驚かせた名戦闘機、零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」が初飛行。

画像:ゼロ戦

ゼロ戦

1939年(昭和14年)
ドイツ軍が国境を越えフランス、ベルギー、オランダに侵入し第二次世界大戦が開始。
1942年(昭和17年) 長崎造船所で当時世界最大の超弩級戦艦・武蔵を竣工。

画像:戦艦武蔵

戦艦武蔵

1941年(昭和16年)
日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃し、多くの犠牲者を出した太平洋戦争が勃発。
三菱社を三菱本社と改称。 1943年(昭和18年)
1944年(昭和19年) 京都機器製作所にて、航空機用エンジンバルブの生産を開始。
 
復興の時代 1945~1963年(昭和20~昭和38年)
激動する国情と民需産業への転換 暮らしを支える産業製品の開発・生産に注力し、戦後日本の復興に貢献。
MHIのあゆみ
主な国内・海外実績
当時の社会情勢
昭和
第4代社長岩崎小彌太が病没。四代70有余年にわたる岩崎家による三菱の事業に終止符が打たれる。 1945年(昭和20年) 終戦間もない10月には米軍の許可を得てトラクタを製作。昭和23年までに146台を生産。

画像:ゴム輪式一屯トラクタ

ゴム輪式一屯トラクタ

1945年(昭和20年)
ドイツ、日本が無条件降伏し第2次世界大戦が終結し、国際平和の維持を目的に国際連合が設立される。

連合国総司令部(GHQ)の財閥解体の方針により三菱本社が解散。

1946年(昭和21年) 戦後、民需転換本格化のシンボルスクーター「シルバーピジョン」製作。

画像:シルバーピジョン

シルバーピジョン

1946年(昭和21年)
ベトナムの独立をめぐりフランスとの間に第1次インドシナ戦争が勃発。
本社に再建整備委員会を設置。 1947年(昭和22年) 飛行機づくりの技術を応用したジュラルミン製自転車・十字号を製作。その他、鍋やスコップ、鋤なども製作。

画像:自転車・十字号

自転車・十字号

1947年(昭和22年)
日本国憲法が施行。
名古屋製作所を新設。 1949年(昭和24年)
1949年(昭和24年)
  • 湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞。
  • 中華人民共和国成立。
三菱重工が東日本重工株式会社、中日本重工株式会社、西日本重工株式会社の3社に分割される。 1950年(昭和25年) KE型エンジン生産1,000台突破。

画像:自動車用エンジン組立風景

自動車用エンジン組立風景

1950年(昭和25年)
朝鮮戦争が勃発。日本に米軍の兵站司令部が置かれ、大量の物資の買い付けなどの特需ブームが始まり、国内の景気が回復。
1951年(昭和26年)
  • サンフランシスコ講和条約調印。
  • 政府が財閥解体完了を発表、持株会社整理委員会解散。
  • この年、鉱工業生産指数が戦前水準を突破。
1952年(昭和27年)
前年に調印したサンフランシスコ講和条約が発効し、占領が解かれ正式に国家としての全権を回復。
  • 本社を東京都港区に移転。
  • 長崎精機製作所を長崎造船所に統合。
1951年(昭和26年)
東日本重工業が三菱日本重工業、中日本重工業が新三菱重工業、西日本重工業が三菱造船に社名を変更。 1952年(昭和27年) 新三菱重工業が九州電力築上発電所向け放射型ボイラを製作。

画像:九州電力築上発電所向け放射型ボイラ

九州電力築上発電所向け放射型ボイラ

1953年(昭和28年)

当時世界最大級のタンカーSTANVAC JAPAN号を三菱造船が建造。

画像:STANVAC JAPAN号

STANVAC JAPAN号

名古屋製作所岩塚工場で、日本初のパッケージエアコンDP5(水冷5馬力)を開発。

画像:パッケージエアコンDP5

パッケージエアコンDP5

1953年(昭和28年)
NHKがテレビ放送を開始。
また朝鮮戦争の休戦協定が結ばれる。
1954年(昭和29年)
  • ソフトクリームフリーザ第1号機完成。
  • 日本初の500SHP舶用主機ガスタービン完成。
  • 日本初の全軽合金製警備艇「あらかぜ」竣工。
1955年(昭和30年)
  • 小型3輪トラック生産5万台突破。
  • 戦後初の国産敷設艦「つがる」竣工。
  • 本社を東京都千代田区丸の内の三菱本館に移転。
  • 名古屋航空機製作所を新設(名古屋製作所から分離・独立)。
1956年(昭和31年)
  • 戦後初の国産戦車、61式戦車を三菱日本重工業が開発・生産。
  • F-86Fジェツト戦闘機の初号機完成。
  • 名古屋製作所でウィンド型ルームクーラー初号機が完成。
  • 長崎造船所が単一製作所として年間進水量世界第一位となる。以後1964年(昭和39年)の三重工合併までに、昭和32、33、36年に世界第一位となる。

画像:61式戦車

61式戦車

画像:F-86Fジェツト戦闘機

F-86Fジェツト戦闘機

1956年(昭和31年)
日ソ国交回復、また国際連合に加盟するなど日本が国際社会の一員として認められるようになった。
1957年(昭和32年)
ソビエト連邦が、世界初の人工衛星・スプートニク1号の打上げに成功。
1958年(昭和33年)
  • 日本初の石油精製大型FCC用ターボブロア完成(昭和石油向け)。
  • 名古屋航空機製作所でS-55ヘリコプタの国産初号機完成(防衛庁向け)。

画像:S-55ヘリコプタ(シコルスキー)

S-55ヘリコプタ(シコルスキー)

  • 本社を東京都千代田区丸の内の旧三菱ビルに移転。
  • 伊勢湾台風により名古屋製作所および名古屋航空機製作所の大江工場に甚大な被害をうける。
1959年(昭和34年)
  • 三菱ふそうT380型トラックを三菱日本重工業が生産。
  • スクーター生産35万台突破。
  • メイキエンジン生産50万台達成。

画像:T380型トラック

T380型トラック

1959年(昭和34年)
皇太子・明仁親王(当時)が民間出身の正田美智子さんとご結婚。
1961年(昭和36年)
  • 国産初の油圧ショベル、三菱ユンボパワーショベルY35を新三菱重工が製造。
  • 中型4輪トラックジュピター生産累計1万台突破。

画像:三菱ユンボパワーショベルY35

三菱ユンボパワーショベルY35

画像:ジュピターT42型

ジュピターT42型

1961年(昭和36年)
人類初の有人衛星、ソ連宇宙船ボストーク1号が、ユーリイ・ガガーリン飛行士を乗せ地球一周に成功。
1962年(昭和37年)
  • 世界初の大型冷凍式LPG運搬船であるブリヂストン液化ガス向けブリヂストン丸竣工(日本郵船向け)。
  • 戦後初の潜水艦はやしお竣工(防衛庁向け)。
  • 軽4輪自動車三菱ミニカ発売。
  • 三原製作所で小型オフセット枚葉印刷機スーパービジュの初号機完成。
1962年(昭和37年)
堀江謙一青年が小型ヨットで太平洋単独横断に成功。
三菱重合併契約書に調印。公正取引委員会で三菱重工合併につき公聴会を開催。 1963年(昭和38年)
  • 自社開発の双発ターボプロップ MU-2小型多用途機が初飛行に成功。
  • 三菱DB型高速ディーゼルエンジン生産5万台突破。
  • 三菱コルト1000発売。
  • 科学技術庁の液体ロケットLS-A型が新島で打ち上げに成功。

画像:MU-2小型多用途機

MU-2小型多用途機

画像:コルト1000

コルト1000

1963年(昭和38年)
アメリカ合衆国のケネディ大統領が遊説先のテキサス州ダラスで暗殺される。
 
新生の時代 1964~1990年(昭和39~平成2年)
高度経済成長期を経て世界の三菱重工へ エネルギーから環境、宇宙にわたる新事業・新分野を積極的に展開し大きく成果をあげると共に、世界経済の発展に貢献。
MHIのあゆみ
主な国内・海外実績
当時の社会情勢
昭和
  • 三菱日本重工業、新三菱重工業、三菱造船が合併し新生三菱重工業が誕生。
  • 高砂製作所を新設。
1964年(昭和39年)
1964年(昭和39年)
東京オリンピックが開催。それに合わせ東海道新幹線が開通。
1965年(昭和40年)
朝永振一郎博士が量子電磁力学の発展に寄与した功績を称えられノーベル物理学賞を受賞。
1966年(昭和41年)
ビートルズが来日。日本中を熱狂させた。
「創意工夫 総力結集 即時実行」を全社統一スローガンに定める。 1965年(昭和40年) 国産初の超臨界圧ボイラを中部電力知多火力発電所に納品。

画像:中部電力知多火力発電所3号ボイラ

中部電力知多火力発電所3号ボイラ

1967年(昭和42年) わが国初の大岳地熱発電所向け大容量地熱発電プラントを建設。

画像:九州電力八丁原地熱発電プラント

九州電力八丁原地熱発電プラント

菱重環境エンジニアリング(現・三菱重工メカトロシステムズ)を設立。 1968年(昭和43年) わが国初の新造コンテナ船・箱根丸を竣工。日本の国際貿易を支え、高度成長の一翼を担う。

画像:コンテナ船・箱根丸

コンテナ船・箱根丸

1968年(昭和43年)
いまだに未解決の三億円強奪事件が発生。
1969年(昭和44年) 斬新なスタイルが評判を呼んだ新しい4ドアセダン、コルト・ギャランを発表。

画像:コルト・ギャラン

コルト・ギャラン

1969年(昭和44年)
アポロ11号が人類初の月面着陸に成功。
自動車事業部を譲渡し新たに三菱自動車工業を設立。 1970年(昭和45年)
  • 新しい都市内交通機関として三菱重工が開発した懸垂型モノレールの湘南モノレールが開業。
  • ルームエアコンのペットネーム「ビーバー」(Beaver)と決定。
  • フォークリフトの製造開始。

画像:大船と江ノ島を結んだ湘南モノレール

大船と江ノ島を結んだ湘南モノレール

画像:ビーバー

ビーバー

1970年(昭和45年)
大坂で万国博覧会が開催され、三菱グループは三菱未来館を出展。
神戸造船所の建設機械部門を分離して明石製作所を新設。 1971年(昭和46年) イラク向けNO.1肥料プラント引渡し。

画像:イラク向けNO.1肥料プラント

イラク向けNO.1肥料プラント

1972年(昭和47年)
札幌で冬季オリンピックが開催され、ジャンプの笠谷選手などが活躍。
1973年(昭和48年)
第4次中東戦争の勃発により原油高騰などによりオイルショックと呼ばれる世界同時不況が起こる。
世界最大級の規模を誇る最新鋭造船所として長崎造船所の香焼工場が完成。 1972年(昭和47年)
東京製作所を相模原製作所と改称。 1973年(昭和48年)
1974年(昭和49年) わが国初の国産超音速航空機、T-2高等練習機の運用が開始。

画像:T-2高等練習機

T-2高等練習機

1974年(昭和49年)
三菱重工爆破事件が発生。尊い命が失われた。
1975年(昭和50年) N-Ⅰロケット初号機で技術試験衛星きくの打上げに成功。

画像:N-Ⅰロケット

N-Ⅰロケット

1975年(昭和50年)
南ベトナムの首都サイゴンが陥落し15年間の長きに渡ったベトナム戦争が終結。
環境問題解決に貢献する重工環境サービス(現・三菱重工環境・化学エンジニアリング)を設立。 1976年(昭和51年) わが国最大級のコンテナ船、世界一周航路用の春日丸が神戸造船所で完成。
1976年(昭和51年)
ロッキード社による旅客機の受注をめぐる世界的な大規模汚職事件、ロッキード事件が起こる。
1977年(昭和52年) 海底油田・天然ガス田の開発を行う、自社デザインの海洋掘削リグ・第五白竜を竣工。

画像:第五白竜

第五白竜

1978年(昭和53年) MU-300ファンジェット機初飛行に成功。

画像:MU-300ファンジェット機

MU-300ファンジェット機

北米の拠点となるMitsubishi Heavy Industries Ameicaを設立。 1979年(昭和54年)
1980年(昭和55年)
ソ連軍がアフガンに侵攻。さらにイラン・イラク全面戦争が勃発。
1981年(昭和56年)
スペースシャトルによる初の有人宇宙飛行が成功。
アジア地域を統括する拠点としてシンガポールにMHI South East Asia Pte. Ltd.を設立。 1981年(昭和56年)
1982年(昭和57年) 世界初の大型超省エネルギー船・新豊丸を竣工。

画像:新豊丸

新豊丸

横浜造船所を横浜製作所と改称。 1983年(昭和58年) 運動能力を向上させ従来機では行なえない姿勢での空中機動を可能とするCCV研究機の初飛行に成功。

画像:CCV研究機

CCV研究機

1985年(昭和60年) 世界最大級コンバインド発電プラント「東北電力、東新潟3号機第二系列545,000kW」完成。

画像:コンバインド発電プラント「東北電力、東新潟3号機第二系列545,000kW」

コンバインド発電プラント「東北電力、東新潟3号機第二系列545,000kW」

1985年(昭和60年)
日本航空123便のジャンボ機が墜落。
1986年(昭和61年)
ソビエト連邦(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で深刻な事故が起こる。
1987年(昭和62年)
日本国有鉄道が民営化されJR7社に分割された。また日本航空も民営化された。
1988年(昭和63年)
青函トンネルと瀬戸大橋が開通。
オランダにMHI Equipment Europe B.V.を設立。 1987年(昭和62年)
タイに小型空調機の製造・販売を行うMahajak Air Conditioners Co., Ltd.を設立。 1988年(昭和63年) 就航時、日本籍で最大の客船で、戦後初の大型クルーズ船・ふじ丸が竣工。

画像:クルーズ客船・ふじ丸

クルーズ客船・ふじ丸

平成
名古屋航空機製作所を名古屋航空宇宙システム製作所と名古屋誘導推進システム製作所に分割。 1989年(昭和64年/平成元年) 深度6,500メートルまで潜れる潜水調査船・しんかい6500を竣工。

画像:潜水調査船・しんかい6500

潜水調査船・しんかい6500

1989年(昭和64年/平成元年)
昭和天皇が崩御し、元号が平成となる。
ドイツではベルリンの壁が崩壊。
1990年(平成2年)
株が大暴落しバブル経済が崩壊。急速な景気後退に見舞われる。
 
挑戦の時代 1991~2014年(平成3~平成26年)
環境と調和するクリーンで豊かな社会の実現を目指す ものづくりの技術とトータル・ソリューションを通じた
MHIのあゆみ
主な国内・海外実績
当時の社会情勢
平成
1991年(平成3年) 90式戦車量産初号機完成。
1991年(平成3年)
イラクがクウェートに侵攻し湾岸戦争が勃発。ソビエト連邦が崩壊し、アメリカが唯一の超大国となる。
1993年(平成5年)
  • 保革55年体制が崩壊。
  • ヨーロッパでは欧州連合(EU)が発足。
1994年(平成6年)
大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞。
1995年(平成7年)
1月に阪神大震災が発生し兵庫県を中心に大きな被害を与えた。また、3月には地下鉄サリン事件が起こる。

画像:火災が起きた神戸市

火災が起きた神戸市

1998年(平成10年)
長野で冬期オリンピックが開催された。日本は10個のメダルを獲得。
1993年(平成5年) 海上自衛隊初のイージス艦こんごうが長崎造船所で進水。

画像:海上自衛隊のイージス艦こんごう

海上自衛隊のイージス艦こんごう

三菱原子力工業を合併。 1995年(平成7年) ゆりかもめ車両及び電力設備引渡し。
1996年(平成8年) 国家プロジェクトの石炭ガス化複合発電 (200トン/日)パイロットプラント用石炭ガス化炉運転研究が完了。
1997年(平成9年) 最大速力 42.4ノットで当時世界最高速の単胴型高速フェリー・ゆにこん完成。

画像:単胴型高速フェリー・ゆにこん

単胴型高速フェリー・ゆにこん

1999年(平成11年) シンガポール向け世界最大処理能力のごみ焼却炉引渡し。

画像:ごみ焼却炉

ごみ焼却炉

事業体制の再編を行い、汎用機・特車事業本部、冷熱事業本部、産業機器事業部、紙・印刷機械事業部、工作機械事業部、三原機械・交通システム工場を新設。 2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起き、世界中の人々に大きなショックを与えた。
  • 海外戦略本部を新設。グローバルな事業展開を強化。
  • 製鉄事業と日立製作所との合併会社三菱日立製鉄機械へ移管。
2002年(平成14年) 世界最速(18万部)の新聞用オフセット印刷機開発。
2002年(平成14年)
アジアでは初めてのサッカーワールドカップを日韓共同で開催。
本社を東京都港区に移転。 2003年(平成15年) 家庭用ロボット「wakamaru」を開発。

画像:家庭用ロボット「wakamaru」

wakamaru

2004年(平成16年) 地球環境にも配慮した大型客船ダイヤモンド・プリンセスと姉妹船サファイア・プリンセスを完成。

画像:ダイヤモンド・プリンセス号

ダイヤモンド・プリンセス号

産業機器事業部を廃止。 2005年(平成17年)
鉄構建設事業本部と機械事業本部を統合し機械・鉄構事業本部を新設。 2006年(平成18年)
オランダにMHI International Investment B.V.を設立。 2007年(平成19年)
  • MRJ(Mitsubishi Regional Jet)正式客先提案を決定し、販売活動を開始。
  • 台湾新幹線開業。
  • ボーイング787主翼初号機出荷。

画像:MRJ

MRJ

2007年(平成19年)
新潟県中越沖地震が発生し大きな被害を与えた。
小型ジェット旅客機の開発・販売を行う三菱航空機を設立。 2008年(平成20年)
機械・鉄構事業本部に環境・化学プラント事業部、交通・先端機器事業部、機械事業を新設。 2009年(平成21年) UAEドバイで「ドバイメトロ」が運行開始。全自動無人運転の鉄道システムとしては世界最長。

画像:ドバイメトロ

ドバイメトロ

2010年(平成22年)
惑星探査機はやぶさが7年におよぶ飛行を終え地球に帰還。
2011年(平成23年)
3月11日に東日本大震災が発生。東北沿岸を中心に津波による大被害を与えた。
印刷・紙工機械事業を担う専業の新会社「三菱重工印刷紙工機械株式会社」を設立。 2010年(平成22年)
事業運営体制強化に伴い組織体制を改編。 2011年(平成23年) 世界最高効率のJ形ガスタービンが実証運転で世界最高のタービン入口温度1,600℃を達成。

画像:J形ガスタービン

J形ガスタービン

全社のEPC(設計・調達・建設)事業を集約したエンジニアリング本部を新設。 2012年(平成24年) H-IIBロケットの打上げ輸送サービス事業を開始。大型人工衛星の打ち上げも可能となる。

画像:H-IIBロケット

H-IIBロケット

2012年(平成24年)
高さ634メートルの東京スカイツリーが開業。多くの観光客でにぎわう。

画像:東京スカイツリー

東京スカイツリー

舶用機械、エンジンの開発・設計・販売・アフターサービスおよびライセンス業務を承継し、三菱重工舶用機械エンジン株式会社を発足。
8つの事業本部からなる組織体制を集約・再編し、「エネルギー・環境」「交通・輸送」「防衛・宇宙」「機械・設備システム」の4事業ドメインからなる新たな組織体制に移行。
2013年(平成25年)
日立製作所と火力発電システム事業を統合し、三菱日立パワーシステムズを設立。 2014年(平成26年)
2014年(平成26年)
ロシアのソチで冬期オリンピックが開催。
 
 
03

ものづくりに込めた思い

ムービー「この手で、つくる。篇(60秒Ver.)」